今、ウィキを見て知ったのですが、
この方、73歳!!
お若く見えますね。
先日、磐田信用金庫浜松南支店さんにて、この方の講演会が開催されました。
お客さんの9割はご年配の方。
なんでも鑑定団は、水戸黄門世代に人気なのでしょう。
「ほんものとにせものの見分け方」
というタイトルでの講演でした。
鑑定団の番組には、かなり深く関わられていたようで、
裏話や先日芸能界を引退した島田紳介さんの話など、楽しい一時でした。
最近はなんでも親切すぎる。
美術館に行くとイヤホンを貸し出し、1つ1つの展示物について解説する。
歌舞伎や能楽を見に行くと、またイヤホンでイチイチ解説する。
ああいったものは、何も分からずに観るから良いのだ!
何も分からずに観たのに、心を動かされる。
また観たいと思う。
理解したい、勉強したいと思う。
そういう感動こそが大切なのだ。
最初から解説されて理解しようとするなどもっての他だ!
そういうお話に、『なるほどな』と感じました。
全てを解説して、分かったつもりにさせて、実は何も分かっていない。
こうして、我々の感性は、ますます鈍化して、画一化している。
世の中が、教育がそうしているんですね。
今はなんでも理解しなければならない。
理解できないものを許さない風潮があります。
それじゃあ人生楽しくない。
個性なんてない。
すべてを理解する必要なんてないじゃないか。
理解できないものを異分子として排除するのではなく、
それに畏敬を示し、共存して行く。
そういった謙虚さに似た姿勢を忘れると、我々に未来はないのではないでしょうか。
全てを管理しようとしてはいけない。
すべてを分かろうとしてはいけない。
理解できないものは理解できないものとして受け入れなければならない。
そして、もっと感性を研ぎすませて、多くのものに感動しなければならない。
『知』を重視しすぎた過ちに気づき、
『意思』や『感情』をもう一度見直し、
自分たち、そして次世代を担う子どもたちに伝えるべきではないでしょうか。
結局、シュタイナー教育につながりました。
安藤忠雄も言っていました
「もう学歴社会は終わったのだということに気づかなければならない」
世の中の全ては繋がっているし、
多くの本にはいろいろな書き方で『たった一つのこと』が書かれていると最近感じます。
なんか宗教っぽいなと、書いてて思いますが、
よねむしはシュタイナー信者でもないし、
なにか宗教をやっているわけではありません。
ただ、最近そう思うことが多いです。
もっと感性を研ぎすませよう!