原爆の日に思う

8:15にサイレンが鳴った。
浜松でもこういったことをやるんだ……。

お風呂掃除の手を止めて、66年前に亡くなった方々に黙祷をした。

私と妻の会話
よねむし「さっきサイレンが鳴ったね」
妻「そうだね。何のサイレンかねえ?」
よねむし「……今日は原爆の日だからね」
妻「そっか、8月5日だっけ……」
よねむし「いや、8月6日」

広島県で育った人間以外はそんなものだとは分かっているのだが、ちょっと腹が立つね。


「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
原爆慰霊碑に刻まれている言葉である。

「過ち」とは何なのか?

広島県は被曝した県として、原子力兵器と戦争の廃絶を訴え続けてきた。
しかし、原子力発電に関してはスルーだった。
詳しいところは知らないが、尾道で育った少年にはスルーに見えた。

学生時代に原子力爆弾についての教育は山のように受けた。
だが、原子力発電に関する話題に触れられたことはなかったように記憶している。


例えば、国防の面から考えるとどうなのだろう?

日本中に原子力発電所がある。
それがミサイルや爆撃の標的とされた場合、日本中に原爆が落ちたのと同等の状況にならないだろうか?

テロの標的として原発が選ばれれば、どれだけの被害がでるのだろうか?


「冷たい戦争」の時代、核兵器がたくさん作られ、世界滅亡へのカウントダウンが刻々と進んでいた。
核兵器は削減されて、カウントダウンは停止もしくは逆にカウントアップ? した。

みんな「兵器」にしか注目しなかったのはなぜなのだろう。

世界中に原発がたくさん作られる。
何か間違いがあると、一瞬にして人類が滅亡する仕掛けを、自ら作っているということに気付かねばならない。

どこかのおかしな人間が、または天災が引き金になって、簡単に人類が滅亡しかねない世界を、戦後我々は作ってしまったのではないか。

上記のように考えると、原発に賛成する理由はなにもない。

人類の滅亡を避けるためには、人類が少しでも長く地球上で繁栄するためには、原発に反対すべきである。


今後原発を作らないことはもちろん、今ある原発をなんとかしなければならない。

運転は止まっていても、そこにミサイルが降ってきて、廃棄核燃料のプールの水が無くなってしまえば同じことだろう。

今のところ、地中深く埋めるか、宇宙に捨てるかの選択肢しかないと聞くが、この問題を解決しなければ、人類の未来は無いのではないのだろうか。

人類の長き繁栄を考える。
子供たちの未来を考える。

原発をなくす以外の選択肢があるとは思えない。


どこかのおかしな国からミサイルが飛んでくる前に、早急に手を打つべきであろう。

広島県民しか知らないであろう、でも広島県民なら誰もが知っているであろう『夾竹桃の歌』を口ずさみながら、そんなことを考えた66回目の原爆の日。



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