『涙の理由』
先月の読書会の課題本でした。
「読書会」とは何ぞや?
ーミカド塗料さんが主催されている、読書好き? が集まる会。
毎月課題本が設定され、その本について意見を交わす会。
とあるきっかけでお誘いいただき、それ以来参加させていただいているー
この本は、小説家である重松清氏と最近テレビ等でよく見かける脳科学者・茂木健一郎氏の対談。
タイトルの通り「涙の理由」を2人で探す。
内容はやや難しく、ややこしく、すんなり入ってはこないけど、最終章でちゃんとまとめてあって、それなりに楽しく読めました。
この中で、重松氏が茂木氏に問う。
「映像等の視覚情報がない状態で、文字情報もない(つまり歌詞のない)音楽だけで泣いたことがありますか?」
よねむしにはそういった経験がないので、
『音楽だけで泣くなんて経験してみたいなあ……』
などと思っていたのですが、
すぐそばで、音楽だけで泣く人を見かけました。
とある休日、自宅のラジカセで音楽をかけようと思い立つ。
子供もいるし、クラシックなんていいんじゃないかなあと、3枚程しかないクラシックのCDの中からエリック・サティのCDをチョイス。
ほとんどジムノペディーで、最後に合奏の交響曲っぽいのが収録されている。
ジムノペディーが終わり、オーケストラがはじまった時、
「わぁぁぁぁん……」
泣いてママに駆け寄る2歳の息子……。
ピアノの独奏は平気なのだが、どうやらオーケストラは恐いようだ。
それまで楽しくおもちゃで遊んでいたのに。
……音楽だけで泣いてるね。
きっと誰も、幼い頃には音楽だけでも涙を流したことがあるのではないだろうか。
音楽にはそれだけの力があるんだと考えると、音楽、音というものにもっと注目して生きていかなければならないと改めて思った。
自動車の騒音が常にバックミュージックとして流れている環境。
ポップスやロックなど、流行ものの音楽。
つけっぱなしであらゆる刺激音を放つテレビ。
こういった『音』は、大人の考える以上に、子供の人間形成に大きな影響を与えているのは間違いがない。
知性重視の教育を受けてきたから、私は音楽だけでは泣けなくなってしまったのだろうか。
シュタイナーが主張するように、「知・情・意の調和」がとれた人間であれば、もっと簡単に音楽だけで泣くことができるのだろうか?
もっと心で生きていってみたいなと思う。